石川県議会議員 盛本芳久

2009年2月定例会

一般質問要旨

 1 構造改革路線について北中2写真.jpgのサムネール画像
 構造改革路線は、地方切り捨て、福祉切り捨て、格差拡大、貧困層拡大をもたらした。来年度の国家予算は、このような状況に対しての総括を行うことなく、地方財政の圧縮や格差拡大に対する配慮のポーズと世界同時不況に対する緊急措置であり、ばらまき的に膨らんだ予算である。新自由主義・グロバリゼーションの結末としての惨憺たる現状とこれに関連した来年の国家予算の感想を聞く。

2 農業について
(1) 企業の農業ではなく、農民の生き生きとした農業を復活させなければならないと思うが、100年に一度の危機の中、今日のこのピンチをどのようにチャンスへと転換させていくのか。知事は、県民に夢とビジョンを語ってほしいと思うがどうか。

 

(2) 農業人材育成プランをまとめ、推進しようとする農林水産部長に、石川県の一次産業の再建の道を示す哲学を聞く。

3 県における雇用等について
(1) 高等学校の図書館司書のように石川県の行政を支えている多くの嘱託職員北国2写真.jpgのサムネール画像は、常勤的かつ専門的に働きながら正規雇用も認められない。このような職員の処遇の改善について総務部長と教育長それぞれに聞く。
(2) 職員の意欲と能力を最大限に引き出すための適正な職員配置や嘱託職員と正規職員の比率についての基本理念及び職員削減の数値目標について、総務部長と教育長それぞれに聞く。

4 子どもたちの貧困問題について
(1) 県内の生活保護費受給世帯数及び就学援助受給者数の推移と傾向について聞く。
(2) 今後、保護者が職を失い、経済的に厳しい環境におかれる児童・生徒の増加が予想されるが、子どもたちの貧困の状況について、どのような予測と問題意識を持っているのか。また、このような子どもたちを支援する生活保護や就学援助などの短期的対策及び中長期的対策について、健康福祉部長と教育長それぞれに聞く。
(3) 高校授業料の減免措置や奨学金制度などの周知徹底を図るための説明資料や相談体制について、現状と新年度に向けた体制を聞く。
(4) 学力調査分析・活用プロジェクト事業は、どのような方向性を持って何を探ろうとしているのか聞く。

3 浅野川水害のその後について

 

(1) 市民研究者は、堆積土砂の除去など日頃の放水路管理に問題があったと指摘しているが、この指摘に対する回答について聞く。
(2) 日常的管理不足の非は非として認めるべきと思うがどうか。
(3) 今後の浅野川放水路の維持管理、機能強化について聞く。

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4 大東亜聖戦大碑について
(1) 兼六園周辺文化の森と位置づけられたこの地における聖戦大碑の存在、位置づけをどう考えるのか聞く。
(2) 聖戦大碑のそばに副碑を建立する計画について、中止を要請すべきと考えるがどうか。

5 学校における主体的な教育活動の推進について
(1) 法によって定められている学校の教育課程編成権についての基本認識を聞く。
(2) 指導主事による現場への強い指導と管理が現場の萎縮を招いているとすれば、適正な指導とはいえず、現場の主体性を尊重する  基本に立って改善すべきと思うがどうか。
(3) 校内研修重視のねらいと期待される新研修体制への移行効果について聞く。

 

石川県議会HP議会中継 http://www.pref.ishikawa.jp/gikai/index-tv.html

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■ 質問全文

 

構造改革路線について

強烈な不況の嵐が吹き荒れております。どうしてこんなことになってしまったのか。このことを今,一番深く考えているのはだれか,それは,最も責任を負うべき日本の指導者たちではなく,今まさに職を失ってしまった人たちなのであります。そして,考えている中身は意外なことに,会社が悪い,政治が悪い,ということではなく,自分の努力が足りなかった,がまんをしてあの会社に勤め続けていればよかった,もっとしっかりと勉強しておくべきだった,という自己反省・後悔・自己否定です。年末の派遣村に集まった失業者への聞き取りやインタビューの多くがそうでした。成果が出なければ,努力したことすら認められない成果主義,自己責任思想が定着してしまっております。

はたしてそうなのか,自己反省・総括をしなければならないのは政府・与党であり,財界ではないのか。新自由主義に基づく経済システムを強引に推進し,必然的にこのような状況におかれる人間をつくりだし,働くことと命の尊厳を軽んじてきた,この構造改革路線を根本的に変革しなければ将来の展望は見えてきません。

地方もまた,この改革路線に翻弄されてきたのではないか,小さな政府,官から民へ,国から地方へ,三位一体,痛みに耐えて,規制緩和,自由競争,株主重視,自己責任,あらゆる言葉を駆使して国民を欺き,結果としては地方切り捨て,福祉切り捨て,格差拡大,貧困層拡大。むき出しの資本主義が暴走し,拝金主義と人間関係の破壊が進行しました。

平成21年度の地方財政計画,国家予算は,このような状況に対し明確な総括を行うことなく,この間の小泉政権以来続いてきた地方財政の圧縮,格差拡大に対する配慮=ポーズ,そして世界同時不況に対する緊急措置であり,従来の経費を削減しつつ暫定的な経費増というブレーキとアクセルを同時に踏むような状況になっているようです。そして,ばらまき的に膨らんだ計画であります。今後の政局の動向によっては再び地方財政の縮減がはじまるとも限りません。これからの課題は,いかに一般行政経費などの基礎的住民サービスの財源保障を充実させこれを恒久化していくかであり,どのような福祉国家の水準をめざすのか,そのなかで国と地方がいかなる役割を果たすのか,麻生首相の言うような中負担・中福祉というような漠然としたものではなく,明確な具体的ビジョンが必要です。

谷本知事におかれましては,このような新自由主義・グローバリゼーションの流れと,その先頭を切って進んできた日本の政財界,そして,その結末としての惨憺たる現状について,率直にどのような感想をお持ちか,お聞かせいただきたいとおもいます。

 

農業など第一次産業の未来について

さて,個人的な話になりますが,私は1955年・昭和30年,能登・志賀町の満州からの引き揚げの開拓村に私は生まれました。両親は開墾した畑に葉たばこ,そしてわずかの水田をつくり,農繁期には加賀へ,冬は関東への出稼ぎによって家計を支えておりました。時代は高度経済成長時代,父の仕事は左官業そして建設機械のオペレータ,兼業農家と変化し,典型的な能登の産業構造を体現してきたのであります。能登だけではなく日本各地の地方の姿であったかもしれません。この100年に一度の危機,何によって人は生きるのか,今考える機会を与えられたのかもしれません。農林漁業に予算と人をシフトしていかなければならないのではないか,そして,福祉・介護の分野にも,教育も入れていただきたかったのですが,知事もすでにそのような方向性を示しておられます。しかし,その分野がまた今の製造業の現場のような雇用状況をつくることであっては地域と人間の回復ははかれません。たとえば農業であれば,農民の=百姓の生き生きとした農業を復活させなければならないと思います。今日のこのピンチをどのようにチャンスへと転換させて行くのか,このようなときにこそ知事は,県民に夢を語っていただきたいのですがいかがでしょうか。そして,農業人材育成プランをまとめ,推進しようとする農林水産部長には一次産業の再建の基本となる哲学をお聞かせ願いたいと思います。

 

臨時職員の正規雇用について

さて,また現実に戻りますが,日本の労働者の1/3が非正規雇用であり,この不況によってこのような人たちがまず職を失う事態が起こっております。対策としてわが石川県も緊急雇用を進めておりますが,これもまた臨時職員であります。現実にはすでに多くの臨時職員が石川県の行政を支えております。私が以前質問いたしました高等学校の図書館司書のように常勤的かつ専門的に働きながら正規雇用も認められない,他県と比較してもきわめて待遇も悪い,今回の緊急雇用の方の給与より低い。このような職員の処遇についてどのように考えるのか,まずお伺いをいたしておきます。

景気の動向によってただ単に臨時職員を増減するのであれば,まさしく今問題となっている雇用の調整弁としての派遣労働者と同様であります。一方,激務の中で心身の健康をむしばまれる正規職員も増え続けております。このような時期でありますからあえてお伺いをいたしますが,つじつま合わせ数合わせ,まず削減ありきではない,職員の意欲と能力を最大限引き出すための,適正な職員配置と臨時と正規職員の比率についてどのような基本理念を持つのか,そして,現実行革推進法によって定められている職員削減のうむを言わさぬ数値目標についてどのような見解をお持ちか,知事ならびに総務部長,教育長に伺います。

 

子どもの貧困状況について

さて,非正規雇用の増加,低賃金・長時間労働強要の横行,会社福祉と公共福祉の削減による格差の拡大は,最低生活水準を下回る所得しか得ることができない貧困を生み出しております。新自由主義経済理論では正しいとされてきた,多少の格差は社会の活力を生むとか,大企業が成長すれば下々も潤うという「トリックルダウン・セオリー=おこぼれ理論」はもうとっくに破綻しております。この大不況により貧困はさらに増加しております。そして,この貧困が子どもたちに深刻な影響を及ぼしております。

日本は公式の貧困基準を持たない珍しい国と言われておりますが,相対的貧困率という数値があります。これは,全世帯の所得を一人あたりに換算し,その分布の中央値の半分以下の所得に位置する人の割合を示します。ほぼ生活保護基準に近い数字になるようです。この計算によって出た日本の子どもの貧困率は最新2004年のデータでは14.7%です,そして,90年代に入ってこの数値は大きく上昇しております。高齢者の貧困率は横ばいであるのに子どもの貧困率が上昇しているのです。ちなみにフィンランドは3%,ドイツは10%以下という数値になっております。そして問題なのは,他の国が低所得世帯への負担軽減や給付による再配分によって貧困率が下がっているのに,日本は再配分によって貧困率が上がるというまことにおかしな唯一の国になっているのです。低所得者層の負担が大きく,高所得者層は所得の割に負担が少ないという制度的欠陥を持っているのであります。

子ども時代の貧困は,その時々の成長過程において心身に大きな影響を及ぼします。40年50年前のみんな貧しかったという時代とはまた状況は異なります。幼児期に受ける愛情の格差はその後の人間関係力や学力の格差へと影響し,学歴の格差へもつながります。そして,意欲や希望の格差(希望を持てる者とそうでない者)にまでつながることが調査によって明らかになっています。さらには,この貧困の世代間連鎖が強まっているといわれます。これは,決して子どもたち自身の責任ではありませんし,10年後20年後の地域と国の姿を大きく左右する問題でもあります。国の子育て支援への大胆な投資はどうしても必要でありますが,県の現状把握と対策も急務であります。

給食費未納問題は,親のモラルがクローズアップされましたが,そのころから今述べたような状況は進行しております。そして,昨年後半から現在そして当面の雇用状況からして,保護者が職を失い経済的に厳しい環境におかれる児童・生徒が増えると予想されます。子どもたちの状況に対し,どのような予測と問題認識を持っておられますか。また,県内の生活保護費受給者数,就学援助受給者数,児童養護施設入所者数の推移と傾向についてお聞かせください。また,短期的および中長期的な対策について見解を伺います。

就学援助費,高校授業料の減免措置,奨学金制度などについては,保護者に対し積極的な活用をはたらきかけるべきであります。制度があることを知らない,手続きが面倒,恥ずかしい,様々な理由により,必要とする世帯・子どもに支援が届かないということにならないよう制度の周知徹底をはかるべきであります。全市町,全学校,全家庭に制度と手続きの説明資料は配付されているのでしょうか。また,相談体制はできているのでしょうか。現状と,新年度に向けた体制について伺います。

これらの対策と並行して,家庭の状況と子どもの生活・学習の関係について分析を進める必要があります。県教委は学力調査分析・活用プロジェクト事業費を新規に予算化しておりますが,従来のような,朝食をとる生徒は正答率が高い,だから早寝・早起き・朝御飯運動を,というような表面的分析や対策に留まることなく,深く入り込んだ分析を期待したいと思います。指導方法の改善等は重要でありますが,その根底にある家庭での生活・学習環境の改善につなげる支援が学力向上の最短の道であると私は確信しますが,この分析・活用プロジェクト事業はどのような方向性を持って何を探ろうとしているのか伺っておきます。

 

浅野川水害のその後について

次に浅野川水害のその後について伺います。

昨年9月議会予算特別委員会において,第三者委員会が独自調査と検証ができる独立した組織になっているのかを聞きましたところ,知事は,専門家のみなさんが参画しておられ,県は数値は提供するが議論は誘導することはないと述べられました。その第三者委員会がこのほど最終報告を出しました。この報告書については,9月の答弁の通り第三者委員会が独自に調査・測定・分析したものはなく県の追認だとの指摘が複数の市民から寄せられております。そして,多くの疑問点が解決されておりません。本日はその中のひとつ,私も先日現地を見て参りましたが,浅野川放水路への分流について質問を行います。

県は,毎秒150m3の水が放水路を通って犀川に流れたと結論づけております。しかし,この計算の根拠は不明であります。第三者委員会の資料には,トンネルから出て大桑に右にカーブしたあたりの左岸の水位の痕跡写真と,堆積土砂のない断面図が示されております。この右岸には多くの堆積物がありました,当時もそのような状態であったと考えられます。しかも,このカーブを通った水は遠心力によって左岸にせり上がるように流れたと予想されます。つまり,この水路の断面から計画通りの分流があったとすることは問題であります。実際,これより少し下流の,水がまっすぐ流れ,堆積物もない大桑水位観測局の水位から計算するのが妥当だとする市民研究者の意見は自然であると考えます。この点については,第三者委員会で議論されたのでしょうか。この地点の水位から通常の計算方法によって算出される流量は,毎秒90m3になるということであります。県は,毎秒150m3の水が流れ,その機能を果たしたが,200年に1回の降水で浅野川の流量も大きすぎ,堤防からの越流とそれに伴って被害が出たと言うのですが,市民研究者は,本当に150m3流れていれば,中流での越流被害は防げた可能性があり,堆積土砂の除去など,日頃の放水路管理に問題があったと指摘しているのであります。この指摘は,私から見れば至極もっともな意見だと思うのですが,このような市民の疑問にどのように回答されているのでしょうか,土木部長に伺います。

先の代表質問では浚渫の必要性が確認されましたが,浅野川も堆積土砂が放置され,放水路にも多量の堆積物があり,どちらかでも浚渫が確実に行われていれば,被害は最小限にとどまったのではないでしょうか。放水路も機能を果たした,浅野川もしっかり管理されていた。しかし,200年に1度の豪雨であったでは,納得できない市民がいるのももっともではないでしょうか。自然を人がコントロールすることは不可能でありますが,日常的管理不足の非は非として認めるべきであります。見解を求めます。

この放水路のトンネル出口付近には1m近い砂の堆積がありましたし,水路の岸にも土砂の堆積や草の繁茂がありました。これは近く除去されると聞いております。そうなれば,この放水路の機能も有効に活用されるべきであります。今後強化されるデータ分析と関連し,ゲートの操作を行うことによって分流量の調整を行い,浅野川と犀川の流量のコントロールはできないのでしょうか,第三者委員会からの提言があるべきではと思いますが,今後の放水路の維持管理,機能強化について見解をお聞きをしておきます。

 

大東亜聖戦大碑問題について

 次に,話は約8年前にさかのぼりますが,今は石川県護国神社境内に建つ大東亜聖戦大碑のその後について伺います。

この大碑は当時県の管理地である公園での建設が申請され,県は設置を許可いたしました。しかし,建設工事は許可以前に着工され,当時の中島土木部長によれば「一時的に違法状態にあった」という杜撰な事務処理があったものです。また,先の戦争を「聖戦」ととらえるこの「大碑」の碑文についても,「適当ではない」,設置許可についても「大いに反省する」「県の落ち度と認めざるを得ない」と県の見解が表明されております。さらには,ここに刻銘されている団体・個人の中には,「鉄血勤皇隊」「ひめゆり学徒隊」「水戸市立五軒小学校」「朝鮮特攻兵8名」など当事者の意向を聞かれないまま名前が刻まれ,不本意な思いをしておられる人や団体もあるのです。現在,土地は返還され,私有地となってはいますが,一定の責任を負う県としてこの碑の存在を今後どのように扱うのでしょうか,誰も出入りできる公的な面を持つ神社でありますし,外国人観光客も多く訪れ,今後石川県・金沢市観光の中心として内外に宣伝していく場所にあります。また,道路からもはっきりと見える場所にそびえているのです。何百年も前の古い歴史的建造物ではありません。目をつぶって通るということはできないのではありませんか。兼六園周辺文化の森と位置づけられたこの地における聖戦大碑の存在,位置づけをどう考えるのか知事の見解を伺います。

そして,さらに,この碑の建立者は,昨年11月,「聖戦大碑の意義がわからぬ内外の人たちが多数あり,わかりやすく理解させるために」と,大碑の横に「副碑」の建立を呼びかけたのであります。

偶然かどうか,昨年,思想的には聖戦大碑と同様と思われ,小松基地で司令を務め県内企業と深く関わる田母神元空幕長の論文が問題となったところであります。ここに「副碑」の建立が進むということは,非核石川県宣言が決議されている県議会の一員として,平和都市をめざす上で深く憂慮するところであります。副碑の建立について中止を要請すべきと考えますが,いかがですか。知事の見解を伺います。

 

学校における主体的な教育活動の推進について

次に,学校における主体的な教育活動の推進に向け何点か伺います。

法的には学校教育の内容の大綱的基準としての学習指導要領があり,これに基づき教科書が編集・検定・採択され,学校では教育課程がつくられます。この教育課程の編成こそある意味では教員の力量が問われる最大の仕事であります。学習目標と内容,計画は公開され,高校であればシラバスという形で事前に生徒に公表され説明が行われます。しかし,生徒も授業も生き物でありますし,地域や学校や学級によって内容が異なることや計画の変更は当然あり得ますし,そのような臨機応変な体制がなければ効果的な指導を行うことはできません。

あたりまえのことを私は述べているのですが,今,学校現場はそうなっていないようであります。指導主事によってかなり硬直した指導と管理が行われていると聞くのであります。教育課程やシラバスが事前に事細かく検閲され,その実施状況も点検が行われ,このためにテスト問題や生徒のノート内容の点検までもが行われ,小さな変更やずれも厳しくチェックされ,時には始末書を求められるということもあると聞きます。

このような体制の中では,様々な地域や子どもたちの特徴があるはずなのに,教員の自由な発想は失われ,どの学校や教室でも画一的な授業が展開されるという創造性のない教育現場となってしまいます。いわゆる脱線もゆるされず無味乾燥の面白くない授業ばかりになっていくかもしれません。独自に教材を発掘したり教具を作ったりと,工夫をする教員が減少するのではと懸念もいたします。毎日・毎時間が見張られているのですから,教育委員会のいうとおりやっていればそれでいいんだろうという校長や教員が増えていくということも起こります。指導主事も上命下服,そうせざるを得ないのかもしれません。

法によって定められている学校の教育課程編成権,これについての教育委員会の基本認識を,まず,伺います。そして,指導主事による現場への強い指導と管理が現場の萎縮を招いているとすれば,適正な指導とはいえないと考えます。現場の主体性を尊重する基本に立って改善すべきと考えますがいかがでしょうか。

来年度主要事業として研修体制の変更が提起されております。教育センターが学校に赴いて研修を行う,よい方法であると思いますが,これも,教育内容や方法の数値目標の押し付けの方向に働くなら逆効果であるといわなければなりません。校内研修重視のねらいと期待される新研修体制への移行効果についてお聞きしておきます。

教育再生会議のメンバーであった株式会社ワタミの渡辺社長が理事長を勤める郁文館夢学園で英語検定の問題を事前に漏らしていたことが先日ニュースとなりました。私も2004年に委員会視察で訪れた学校です。理事長の関与は無いといいますが,英検合格率向上という表面的な成果主義に走ってしまったこの学校の不正は,渡辺理事長が主張している教育の規制緩和,教育効率化の思想と無関係ではないでしょう。

わが県においても,学力テスト平均正答率・全国順位向上,有名大学合格者数増など数値に偏った成果を求めるあまりのトップダウンの教育行政では,必ずひずみが生じます。まじめな生徒,まじめな教員が潰されていくのです。優秀で豊かな創造性を持った現場教職員,管理職,指導主事の力を最大限に発揮してもらうため,信頼と自由な研究の場の保障を期待したいのです。

学校現場の主体性の尊重について教育長の見解を求め私の質問を終わります。

 

ありがとうございました。