今年もまた,尹奉吉(ユンボンギル)の生地韓国禮山郡を訪問し平和交流の各種活動を行った。私にとっては2004年からの連続の6回目の参加となる。4月29日上海での義挙の日を記念して行われる祭亨と式典・文化祭参加を中心に,今年は,新羅時代の都慶州(キョンジュ)や板門店(パンムンジョン)の視察も行った。
ソウルの孝昌公園にある尹奉吉の墓所 尹奉吉の遺骨が帰国したときこの公園で盛大に国葬が営まれたという。 ここで献花・尺八の献奏を行った。 参加者に説明を行う朴仁祚(パクインジョ)さん。
4月29日上海での義挙を記念し,祭亨が行われる忠義詞で参加者全員で記念撮影。 祭亨の後,文化祭典が行われる。私は挨拶で,昨年金沢での尹圭相 月進会会長の講演であった,尹奉吉が望んだことは韓国独立にとどまらず,東北アジアさらには世界の統一と平和だった,という内容を紹介し,日本の植民地支配の深い反省と,今後の交流と友好関係深化を求めた。
文化祭のステージは,韓国サムルノリの第一人者李光壽率いる民俗音楽院の演奏,そして,中国,モンゴルからの音楽家による演奏があった。 私はステージにあがる予定はなかったが,尹会長の取り計らいによって図々しくも飛び入り登壇,アリランを演奏させていただいた。
今回は産業視察も行った。禮山郡にあるパプリカ栽培施設,給水や施肥がコンピュータ管理されている工場と言ったほうが適切かもしれない。ここで生産されたものの50%が日本に輸出されている。
2回目の板門店ツアーに参加,旅行社の例の「皆様の命をかけたツアーにようこそ」の言葉は変わっておらず,北朝鮮の飛翔体に過敏な反応をしていた日本とは相当な温度差を感じた。ツアーのガイドには脱北者という女性も加わり,北の教育制度などの説明を行っていた。
境界線をまたぐ会議室では以前同様,兵士との記念撮影を行う観光客が多くいた。しかし,南北に分断されたこの国,当然ながら日本の責任も極めて重いのだが・・・
帰国日(5月1日)日本はインフルエンザでものものしい雰囲気。着陸後の機内にはマスクをした検疫官が巡回,正直に申告しなさいとの圧力のよう。 小松空港では,マスコミも取材,一人一人サーモグラフィーによる検温が行われた。幸いにも参加者は全員健康。5日間の交流訪問を終えた。
毎年続けているこの訪問,これは,お盆の墓参りのようなものだ。同じ場所へ出向き,お参りをし,昨年あった方々にまたお会いする。そして,尹奉吉について語る。この継続した訪問が,戦争と日本の責任を考え続けることであり,謝罪であり,平和の誓いである。交流の深まり,友情のひろがりこそ平和へのあゆみだ。仲間とともに続けたい。

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